「夏のおわり」 By ポアンポアンさま
コンコンとノックの音がする。
それを聞くと、あたいはベッドの上で寝転んでいた体をすばやく反転させた。 読んでいた雑誌が、ころり、と床に落ちる。
「いるよ〜」
あたいは、さりげなく何でもないように答え、手を伸ばして落ちた雑誌を素早く拾った。 ずっと待っていたなんて、思われたくない。けれど、緩む頬が押さえられなくて、にかっと笑おうとする頬を2、3回パンパンと叩いて、わざとらしく眉間に皺を寄せた。
ドアが、かちゃりと開く音がして、ベッドから飛び降りる。
「何してたんですか」 ドアを半分開けて、清四郎が部屋の中を少し覗き込むようにしてから入ってきた。
低くて、どっしりしていて、落ち着いた声。 それでいて、ちょっと呆れたような声は、あたいの大好きな声だ。 聞きなれているのに、心臓がどきんって跳ねる。
「お前があんまり遅いから、雑誌読んでたの。もう少しで寝ちゃうとこだったんだからな」 清四郎に近づきながら、ブツブツ言うと、長く逞しい腕が伸びてきた。 「それはすみませんでしたね。やっと豊作さんに頼まれていた仕事が終わったんですよ」 伸ばされた手が頭に乗せられ、数回髪を撫でた。 あったかくて大きな手の平の感触が懐かしい。
「ほら、お土産」 頭にのせた方とは反対の手で、ドーナッツの箱を目の前に差し出された。 来るのが遅い、と責めるつもりで不機嫌な振りをしてみたのに、食べ物を前にしてそれはあっけなく崩れた。 「何味?」 にまっと笑って、颯爽と箱を受け取り、くんくんと匂いを嗅ぐ。 「お前は犬ですか」 清四郎が、溜息まじりに言った。 「うるさい」 何かというと、犬だ、猫だと(たまに猿)言いたい放題の清四郎に、言葉だけで反抗する。 だって、本当に甘い、いい匂いがしてたから鼻くらい近づけたくなるってもんだ。 「シナモン入ってる?」と聞くと、清四郎はそれ以上嫌味を言わず、「さあね。ほら、早く食べたいでしょう、コーヒーを入れてくれます?」と笑った。
あたいは大学を卒業してから、プロのスポーツインストラクターとして働いている。 剣菱に所属しているスポーツ選手を、心理面・健康面でサポートするのが仕事だ。 試合や練習で選手に付き添って外国に行くことが多く、主だった仕事がない時だけこうして剣菱の家でくつろいでいた。 こんな日は、清四郎が剣菱に来ることがわかると「仕事が終わったら、部屋に来い」と携帯にメッセージを残す。
ドーナッツの箱を持って、部屋の隅にあるカウンターで、コーヒーを入れた。 ソファにどっさりと座り込んだ清四郎をちらっと横目で見ると、疲れた表情で額に手をあてている。 呼びつけて悪かったかな、そう思いつつ「清四郎、疲れてるなら、ちょっとだけウイスキー入れる?」と聞いた。 本当は部屋に戻って寝る?と言ってやる方がいいかもしれないけど、少しだけそばにいたい。 ちょっとくらい、いいよな?と、なぜか清四郎にではなく自分自身に言い訳をした。
「ああ、お願いします」 清四郎の肯定の声がして、あたいは棚の中からスコッチを出して、数滴コーヒーに入れる。 皿にドーナッツをうつして、コーヒーと一緒にテーブルに運んだ。 そして、あたいは清四郎の横に何気なく座った。
清四郎が持ってきたドーナッツは、ちゃんとあたいの好みを知って選んである。 プレーン、レーズン、シナモン、それから、チョコやクリームのたっぷり入ったやつ。 二人でドーナツを摘みながら今日あった出来事を話し、その後、テレビをつけてDVDをセットした。
「新しくDVD買ったんだ。家に来るなら仕事の後、一緒にみようぜ」 今日の午後に打ったメール。 清四郎からは、夕方になって電話が入り「遅くなるかもしれないが、行きますよ」と返事があった。
映画を一緒に見よう、と言うのはあたいの口実で、本当はただ会いたかっただけだ。 大学生の頃は、お互いに余裕があり、勉強をするときも、休憩と称して遊ぶときも、いつも一緒にいられた。 でも、あたいが先に働き始め、清四郎も大学院の勉強と剣菱での仕事が本格的になってきた為に、いつの間にか一緒にいられる時間はわずかになっていた。 そばにいる時はなんともなかったのに、会えなくなると無性に寂しい。
顔が見たい、声が聞きたい、どこかに触れていたい。
こんな感情と欲求を、あたいは、清四郎に対してどう表現していいのかわからない。 「そばにいて」なんて、言えないから、口実をつけては清四郎を呼んだ。
少し部屋の照明を落として、映画を見る。 並んで座っている時に触れている肩が、体温よりあったかく感じた。
1時間ほどすると、少しずつ体に重みを感じる。 清四郎がウトウトとしていた。学生の頃のこいつでは考えられない。 この隙のない男が居眠りをするなんて、天と地がひっくり返ってもあり得ないと思っていた。無防備な顔の影に疲れた表情が読み取れて、あたいは溜息をつく。 「おまえ、ちょっとは仕事をひかえろよ」 清四郎が倒れないよう、そっと体を離すと、ベッドからシーツを剥いできた。 隣に座りなおすと、清四郎に掛けてやる。 少し身をよじった清四郎を自分の体に預けさせて、映画の続きを見た。
少しだけ密着している部分があったかくて、安心した気持ちになる。 画面が暗くなると、あたいは瞼を閉じた。 映画のエンドロールが流れ、音楽が心地いい。
「ずっとお前の傍は離れませんよ」 いつか、おまえそう言ったよな、夏のはじめに。
「ずっとそばにいてよ」 夏の終わりの夜、そう言ってみた。
「聞こえてる?清四郎?」
end
先日、清四郎偏愛管理人麗さまが、もっぷ様の作品「夏が終わる日」を拝読して号泣。 あれとは?ぽち様のサイトでたむらん様の絵につけた「初夏」というSS(ぽちさまサイト「Siesta」の宝箱にGo!)、あれです。それで、ササっと書いて麗さまにプレゼント。んが、まさかアップになるとは思ってなかったので、もっぷ様、ぽち様には恐縮の極みです。 +++++++++++++++
|