「100万回の愛の言葉を」
「清四郎は、何であたいに、愛してるって言ってくれないの?」
頭の中で、悠理の言葉が回っている。 お定まりの喧嘩。ほんの些細なことで始まる。たまたま互いの機嫌が悪かった、ただそれだけのこと。 いつもなら、激しく言い合いをして、ふんっと横を向いた途端に、もうお互いの表情を横目で伺い合っている。 そして、どちらからともなく身体を寄せ合って、仲直りをするのだ。いつもは、そう。
「美童はさぁ、野梨子に毎日『愛してる』って言うんだって」 「ま、外国人としては当然の愛情表現でしょうな」 「魅録もさ、可憐が『あたしのこと、好き?』って聞くとさ、真っ赤になって照れくさそうに、『ああ、好きだ』って言うんだって」 「ほぉ」 「あたい、清四郎に好きだとかそういうこと、言ってもらったことないなぁ」 「…そんなこと、いちいち言わないとわからないんですか?」
ばさりと、読んでいた新聞を下ろすと、口をへの字に結んだ悠理と目が合った。
「だってさ、あたいばっかじゃん。告ったのもあたいからだし、どっか行きたいって言うのもあたいの方だし、メールも、電話だって…」 「フム、えっちは僕の方から求めていると思いますが?」 「ふ、ふざけんなっ! それだけじゃないか!!」 「あのねぇ、悠理」
僕は溜息をついてみせると、悠理の頭を胸に抱え込んだ。
「僕がそういうことをいちいち口に出す種類の男でないことは、わかっていたでしょう?」 「でも、あたいは言って欲しい」 僕の腕の中、真剣な瞳で悠理は呟く。
「はいはい。好きです、愛してます、アイ・ラブ・ユー。…これでいいか?」 「なっ…なんだよ、それ!」 「ああもう、うるさいですな。悠理が言えって言うから、言ってあげたんでしょうが」
柳眉を逆立てた悠理の顔。 そして、嵐のような言葉の応酬と、飛んでくるクッション。 荒々しく扉を閉め、悠理に部屋を後にしても、僕の胸の中はざわついたままだった。
むしゃくしゃした思いを抱えたまま、自宅に帰ってシャワーを浴び、むしゃくしゃした気持ちのままでベッドにひっくり返る。 大体僕は、自分の気持ちを素直に口に出すというようなことは、得手ではない。 美童などは、よくもまぁと呆れるほどに、スラスラと口に出しているが。 僕は……恥ずかしいのだ。そういうことは。 だから悠理への気持ちは嘘偽りなく深くても、それを口に出せば、からかいや揶揄の言葉に代わってしまう。 自分でも不器用だとは思うが、性分という奴でいたし方がない。 だいたい悠理も、そんなことはわかっていて僕に惚れたのだろうに。
そんなことを延々と考えているうちに、僕は眠ってしまったらしい。 ふと気がつくと、僕は夢の中にいた。 そこは広い野原で、立っている僕の足元には小さな白い花が咲き乱れている。 僕の記憶にある限り、こんな場所はこの近くにはない。だから、これは夢だ。
視線を上げると、5メートルほど離れたところに悠理が座っていた。 彼女は、まるでボッティチェルリの絵に出てくるような、白いドレープの多い衣装を身に纏い、髪に花飾りをつけている。 彼女の周りには、かわいらしい小鳥が飛び回り、悠理は花を摘んで小鳥に差し出している。 ……やっぱり、これは夢だ。
そう、三美神に悠理と野梨子、可憐が扮したらよく似合うだろうなどと思いつつ、僕は彼女に歩み寄った。 僕に気がついて、うっすらと微笑んだ悠理を腕の中に抱きいれようとしたら、ふっと彼女の姿が消えた。 え?と思ったら、悠理は少し離れたところに立っている。近づき、抱きしめようとする。また、彼女の姿が消える。 離れたところで僕を見つめる悠理の表情はとても悲しそうで、僕は是が非でも彼女を抱きしめたくなる。なのに、消えてしまう、彼女の身体。 何度も、何度もそれを繰り返し、僕は不安に苛まれた。これは夢だとわかっている、でも―――
「なぜです?」 僕は問いかけた。 「なぜ、逃げるんですか? 悠理…」
二人を隔てるわずかな距離。そこに風が吹き抜け、悠理の白い衣服の裾がはためく。
「……愛してるって、言ってくれないから」 悠理の赤い唇が動く。また風が吹いて、髪に飾られた花が舞った。 「まだ、そんなことを言っているんですか? わかってるでしょう、僕はそういうことは…」
途端に、暗転。 さっきまでの広い野原は跡形もなく、薄暗く、濃いもやがかかった空間。 これは夢だ、わかっている。けれど、僕の胸に広がる捕らえようのない不安。
「悠理? 悠理!!」 呼んでも、答えが返ってこない。けれど、彼女が近くにいる気配は感じる。 お前を抱きしめたい、この腕の中に、ちゃんとお前の存在を感じていたい。そのためなら……
「悠理、姿を見せてください! ちゃんと言いますから。何度だって言うから!!」 そう、僕は100万回だってお前に伝えよう。きちんと口にしよう。僕の心からの、愛の言葉を。
どこからか、微かに柔らかな音が響いてきた。 その音に合わせるかのように、目の前のもやが薄れていき、その向こうに、悠理が立っている。 泣いているような、笑っているような、そんな顔をして。 僕は悠理の姿をもっとはっきり見たくて、目を凝らした。そして―――
イラスト By えりんさま
パチっと、まるでスイッチが入ったかのように目が覚めた。 当然ながらベッドの上で、袖を通しただけのパジャマが背中でよれている。 やはり夢だったと安堵しながら、僕はベッドサイドにおいた携帯にゆっくりと手を伸ばした。 夢の中で悠理を追ったり、不安に苛まれたりした所為だろうか。身体が重い。
「もしもし、悠理?」
自分でも驚くほどに、優しい声が出た。 夢の中でもわかっていた。あの音は、悠理からの着信を知らせるメロディ。 あいつには似合わないなと思いながらも設定した、僕の好きな柔らかなメロディ。
「……清四郎?」 電話の向こうで、しゃくりあげる音が聞こえる。 「ごめんな、あたい……その…」 皆まで言えぬ悠理の涙声に、僕の頬が緩む。
「いいですよ。僕の方こそ、悪かった。ねぇ、悠理……」
そして僕は、100万回の内の最初の一回目の言葉を、彼女に伝えた。
end (2006.5.10up)
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Material By macherie さま